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シャカリキ!全18巻

 92年〜95年  秋田書店 曽田正人著。

 

 ゲームをしよう!なに、簡単なゲームだ。ルールは一つ、下記の文章をあなたが読んでくれるだけでいい。勝ち負けの基準は文章の一番最後に述べよう。

 

 曽田正人はきちがい漫画描きである。「寝ぼけているのか?」うむ、そう思うかもしれないが、とりあえず読んでくれ。きちがい、という言葉が引っかかる?じゃぁ、「気が触れた人物」でも「き●がい」にでも置き換えてくれ。

 ・曽田氏は小学館の北崎拓のもとでアシ経験をつみ、22歳でデビュー、24歳で初連載を持ちました。(<参照ページ)そこで書いたのがこのシャカリキ!。

 小学館の元でアシ経験のはずなのになぜか秋田書店の週刊少年チャンピオンで連載。そこで彼は圧倒的な支持を得、18巻という金字塔をうち立てる。

 ・さてこのシャカリキ!、ネットで検索して感想を見てみますと書いてあるのはひたすら「自転車漫画!」「熱い!」「熱い!」「熱くて死ぬぜ!」みたいな感想ばかり。「熱い!」といっても島本和彦氏の熱さ!とか、楳図かずお氏の熱い!とか、車田正美氏の熱いな、をい!とかは全部種類が違います。でも読んだ人が全員口にするのは熱い!の一言。さてはて、どのように熱いのでしょうか。

 主人公は野々村輝8歳。念願かなって自転車を買ってもらった直後に引っ越し。しかも引っ越した町は「坂の町」と言われるほど坂の多い町。長崎ですか、と言いたくなるほど坂が多い。あまりに坂が多すぎて誰も自転車に乗らず自転車屋がつぶれ1軒しかないほどである。
 一番坂。描写されるのに消失点が使われるほどの長い長い坂。テルはここを自転車で昇る。地元の子供に馬鹿にされつつも自転車で駆け上る。汗はかき、歯を食いしばり、鼻からは鼻水も息も一緒くたにだされる。汗は流れ落ちる。手はハンドルにしがみつくように、足を大地に踏み降ろすようにペダルを漕ぐ漕ぐ。だが、彼は負けた。そう、登れなかった。大地に倒れふし立ち上がる気力もなく崩れ落ちた。だが、中学生になったときには克服する。だが、相変わらずも汗水鼻水垂らしながら昇っていく。

 この後彼は中学3年生でライバルに出会い、 高校生に進学後自転車部に入り、自転車レースをこなしていく。チームで走り、高校生、大学生、さらには実業団と競い合う。そして最後にはトップに上り詰める。

 

 全体のあらすじなどこんなものだ。「あぁん?ジャンプ?」と言いたくなるほどステロタイプな漫画パターンだ。強敵を倒したらまた強敵。あらすじだけを読んだらそんな風にも感じる。

 この漫画の強敵。。。それは自分より年上の実業団選手?大学生選手?外国人選手? いや、そうじゃない。彼にとっての強敵はいつだってただ一つだった。それは自分に対する障害。時にはそれは坂という重力であり、時には風という自然、そして自分自身。
  いつだってやめようと思えばやめられる自分自身への”許し”
 「おまえはよくやったよ、ここまでやったんだからもうやめよう」 簡単に言うことができ、私自身も日々の生活で自分自身に与えた”許し” 。”甘え”じゃない。”許し”だ。「ここまで出来たらやめよう!」という”目標”と言い換えても良いかもしれない。 ”許し”そう、これこそがこの漫画最大の強敵。彼はいつだってその”許し”を自分に与えない。「もうやめろ!」と周りが言っても”許し”を与えない。
  まさに自分自身を燃やし尽くす炎の意志を抱いている。

 

 野々村輝はそのあまりに常人離れした必死さ、障害にかける執念、意志力に周りの者は危うい物を感じる。
  こんなエピソードがある。彼はレース中自転車から落車することで全治2ヶ月の怪我を足におう。その怪我に周りの物は彼はもう自転車に乗らないのでは、と不安を感じる。そんな危惧をよそにテルは言う。「落車は怖くなくなった。ビョーイン行けば治してくれるのがわかったさかい」 ぞっとするセリフである。

 ・曽田氏は「め組の大悟」「昴」、そしてシャカリキという連載作品を描く。どれもこれも「天才」と言われる人間の話だ。「いや、彼らは天才じゃないよ。それに見合うだけの覚悟と努力をしているよ」 違う、それは違う。テルも大悟もすばるも私に言わせれば「きちがい」だ。

 人間、、、つまりは生物としての本能は突き詰めれば生存し、種を残す、というものだ(と私は思っている) この本能に反する行為ってのは基本的に生物的社会的におかしい行為だ(レミングスとか例に出さないでね。そういう限定状況でのケースを一般的な意味での本能に当てはめるなよ。さらにあれもちゃんと種の維持という本能に基づく、、云々かんぬん)
 彼の描く作品の主人公は全員が全員、この本能が欠如し、本能に注がれるだけのエネルギー、意志力を何かに注ぐ。それは障害に逆らうことであり、火を消すということであり、踊ることだ。こういうのは天才とは言わない。きちがいだよ。 彼の描く漫画は全部きちがいと天才は紙一重という人物ばかりだ。紙一重どころが薄紙一枚もない人間ばかりだ。

 これは別に漫画の世界だけの話ではない。「僕の周りにもいるよ、天才は」というレベルの天才じゃない。歴史に残るほどの天才レベルだ。何かが欠如してそこに注がれるだけのエネルギー、時間、意志力を何かに注いで初めて天才、ではないだろうか?(私の極論だろうけどね)

 だからこそ、彼の描く人物は天才と呼ばれるのであり、周りの人の目をひきつける。そりゃそうだ。普通の人が注がないだけのものを何かに注いでいる姿は非常に美しい。

 ・彼の描く作品は決して文部省指定の良書でもない。むしろ奇作ですらある。彼の作品は決して小学生が読むべき作品ではない。危険な作品ですらあると私は思う。もっとも、いつだって危険やおかしいものほど甘美な芳香を漂わすんだけどね。

 もう一度いおう。曽田正人はきちがい漫画描きである。だが、だからこそ、彼の描く作品は非常に美しく、印象に残る。

 ・困ったことにシャカリキ!は画も素晴らしい。新人とは思えないほどだ。「昴」も素晴らしいだって?うむ、私もそう思う。だが、シャカリキ!の画が素晴らしいのは技量じゃない。若さだ。若い曽田氏には昴ほどの技量はそりゃまだなかったが、それを補うほどの若さを感じ取れる。むしろ、若さがあるからこそ熱風を感じ取れる。昴から感じられるのが背筋が凍る寒風だとしたらシャカリキ!から感じられるのは熱風だ。それも熱帯雨林のように湿気を含み、体の中に入り込んでくるほどの。

 シャカリキ!は現在は愛蔵版で読むことが出来る。だが、困ったことに全18巻が全7巻になっている。しかも表紙は書き下ろしだ。愛蔵版はダメだ!!却下だ!
  愛蔵版の表紙から感じ取れるのは涼風であり、熱風じゃない。上記に載っけている表紙絵とリンクつないである愛蔵版の表紙を見比べたら一目瞭然。 技量的には進化かもしれないが、シャカリキ!を描く技量じゃない。整いすぎて熱風が感じられない。
  つぅことで買うんだったら新書版買いなさい。絶版くらってしかも秋田書店だから数も少ないが、、、南無南無

 シャカリキ!はちゃんと計算されて幸せな終わりを迎えた漫画です。(め組の大悟は終わり方失敗だと思ってますし、あたしゃ。これだからサンデーは、、、、いい加減終わらせろという漫画多すぎだ。)
  誰もがテルがどう生きていくか気になりつつも彼は今頃もきっと自転車を漕いでいる。そう、一番坂と同じように汗と鼻水を垂らしながら全身全霊をかけて坂を上っているだろう、と確信できる終わり方です。「もしかしたら自分自身を燃やし尽くしているかもしれないな」と思わせつつも「だが!テルならきっとそれを乗り越える」という確信が抱ける。とてもとても幸せな終わり方でした。


 (め組の場合は続きが気にならない。描きすぎている。なんつぅか、、、終了後の想像の余地が残されていない)

 (類似作品は今考えるとガラスの仮面ですな、こりゃ。「何かを捨てたから天才」という意味では北島マヤも野々村輝も同じです。問題はガラスの仮面は幸せな終わり方が出来るかどうかとても不安ってことですな)

 

 さて、ゲームは終わり。長丁場でしたな。
 勝ち負けの判断?そいつは簡単。上の文章を読んでシャカリキ!を読みたくなったら私の勝ち、たいして読みたくないな、と思ったなら私の負けです。

 負けた、と思ったならどうにかしてシャカリキ!を新書版で読んでください。勝った!と思った人間は愛蔵版でも読んで私以上の文章を書いて布教してください〜